愛を追い求める者

そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる。(箴言17:9)

同じことを何度も聞く人がいます。何度も同じことを聞かれると、自分のことに関心を持ってくれていないのだなと思ってしまいます。しかし他のことでもいろいろ忘れている姿を見ると、ただ忘れっぽいのか?おそらく忙しかったのでしょう。「同じことをくり返して言う」とありますが、忘れっぽい人が非難されているのではありません。「同じことをくり返して言う」とは、新しい訳では「同じことを蒸し返す(新改訳2017)」となっています。つまり、人のした悪をいつまでも覚えている人は、親しい友を離れさせるという意味なのです。他者の失敗を赦すこと、軽く見てあげる心を持つことの大切さを語っています。確かにいつまでも相手の昔の過ちを蒸し返すならば、人望のある人とは言えないでしょう。他人には厳しい私たちですが、いざ自分に降りかかってくると大変です。結婚してから特に、自分は“ねちねちした”人間であることをつくづく思い知らされています。妻とのけんかで、昔のことを掘り起こしてつい愚痴ってしまうと、「昔のことを蒸し返すな」と言われ、また別のけんか勃発…。こんな者が「愛を追い求める者」になれるのでしょうか。

ある学校の理事長がこんなことを言っていたことを思い出します。その人は長く大学生と関わる仕事をしていましたが、女子高の理事長になって、悩みが一変。それは女子高生に嫌われないように、でした。女子高生に嫌われたら最後と思っていたので、そうならないように日々頑張っていたそうです。しかしある時から祈りをこう変えます。それは「もし自分が嫌われたとしても、自分が相手を嫌いにならないように」という祈りでした。

この話を聞いて「愛を追い求める」ということについて少し考えさせられました。ねちねちした私がどう愛を追い求める者となれるのか。「自分が嫌われても自分が相手を嫌いにならないように祈ること」は、いいなと思いました。赦すということに気を配ること、これこそ愛を追い求めている姿ではないだろうかと思ったのです。